くじらすいそう

鯨と申します。特撮や映画など、諸々について書いていきたいです。 Twitter:@Cuzilla0723

鬼の居ぬ間などはなく

酷い目に遭った。

 

ここ数日、金沢では雪が降っている。鬼のように寒い。最低気温も連日氷点下を記録している。福井の出身だから寒さも雪も大して堪えないだろうとタカを括っていたけど、金沢は福井よりも少し寒いし、今年の雪は結構多そうだ。しんどい。

 

まぁ金沢での冬は2回目なので、それは覚悟済みなんだけど、今年は去年とは事情が少し違う。今月の頭に引っ越しをしたからだ。物件売買にともなって不動産屋に頼まれて旧居を出払い、隣町に移ることになった。1kmも離れていないけど、結構勝手が違う。

 

その一例が洗濯機だ。今の部屋では、洗濯機がベランダにある。旧居には洗濯機がなく、アパートのコインランドリーで洗濯していたし、ベランダもなかったので、「ふ~ん、こういう家もあるのか」くらいに思っていた。

 

 

今朝。洗濯機のスイッチを入れると、エラーメッセージが表示された。

どうもホースが凍結して注水できなくなったらしい。やれやれ。

とりあえず昼のうちに溶けることを期待して、夕方まで放っておいた。

 

夕方。まぁ案の定というか、凍ったままだった。やかんのお湯をかけて溶かそうにも、凍結箇所がわからない。

凍結箇所の同定のために注水ホースを外す。凍っていたのはホースのその先、洗濯機の注水口だった。水が噴き出してびしゃびしゃになってしまった。

寒い!(煉獄杏寿郎)

びしゃびしゃになりながらも、どうにか解氷を遂げ、洗濯を始めた。

 

注水を終えたのを確認し、さてこれで安心と息をつくと、またもエラーメッセージが表示さた。

どうやら排水の方のホースが凍っていたらしい。洗濯物がどうしようもなく水に漬かったままになっていた。

 

外はクソ寒い。さっき濡れたままになっているから本当に洒落にならない。

しかしこの洗濯物をそのまま放置するわけにもいかない。翌朝には氷漬けになってしまう。

 

洗濯物はとりあえず救出して、バスタブに放り込んだ。

 

水が張ったままの洗濯機を放置するとドデカい氷塊ができてしまうかもしれない。洗面器でできる限りの排水を試みる。当然、びしゃびしゃと水がかかる。寒すぎる。

大急ぎで排水を終わらせ、シャワーへ駆け込む。

 

いや、バスタブに洗濯物あるからシャワー浴びれないやん。

 

 

どうしてこんなことになってしまったんだろう?冷静に考えれば予見できたはずだった。

注水ホースが凍っているのだから、排水ホースもそうなっているのは明らかだ。

 

やれやれ。どうして僕はそんなことにも気がつかなかったんだろう。

見込みが甘かった。冬の厳しさというものを舐めていた。北陸出身なのに。

 

北陸の人間として、不甲斐なし。風呂があったら入りたい。

 

 

まぁ結局は寒さに耐えながらどうにか浴槽で濯ぎを終え、事なきを得たのだけど。

こんなことはもうしたくない。

今後の洗濯はどうしようか。毎回寒風に耐えながら、解凍作業をするしかないか…

血で血を洗い、血を分け与え

献血に行ってきた。7回目になる。

極めて資本主義的で、修羅のように忙しいバイトが終わり、予定がない宙ぶらりんの状態で駅前に放り出されてしまったので、なんとなく歩いていたら献血ルームまで辿り着いたので、なんとなく成分献血を申し込んだ。

 

献血ルームは面白い。看護師さんはびっくりするくらい丁寧な対応をしてくれる一方、問診担当のお医者さんは大体ダルそうにしていて、ギャップで笑ってしまう。

今日は30代くらいの女性の先生が問診をされていたのだけど、本当にダルそうでウケちゃった。他方、看護師さんは普段子どもを相手にしているのか、丁寧なんだけど妙に馴れ馴れしいというか、甘やかすような口調で話してくる。色んな人がいる。面白い。

 

色んな人がいると言えば、生きるために誰かの血が必要な人がいて、その一方で誰かに血を分け与えたい人がいるというのも、少し不思議な気がする。

血が足りない人と有り余る人。その間では、技術やシステム、それと善意に類するのものに媒介されて、それなりの均衡が図られている。

健康な人にとって200ないし400ml(今回は成分献血だったが)の血液には大した価値がない。無くなっても別に問題はない。だが、輸血を必要とする患者にとっては文字通り死活問題となる。その理不尽とも言いたくなるようなアンバランスを多少なりとも修正する営みとして、献血というものはある。

あるいは多くの善行は理不尽なアンバランスの修正という枠組みで捉えられるかもしれない。思いつきだけど。

 

色んな人がワチャワチャしながらも、どうにかこうにか上手いことそれなりのバランスを保とうとする世界や、上手いことやっていこうとする人間という生き物は案外悪いものではないのかもしれない。

ちょっと痛い思いをして暫く採血管に繋がれているだけでなんとなくそんな気持ちになれる、それが僕が献血に好んで行く理由なのかもしれない。

ハイエナたちのクリスマス

さて、今日はクリスマスだったわけだが。みなさんはどうお過ごしだっただろうか?

 

毎年この時期が近くなるとみんな浮き足立って気味が悪い。普段は「いや、恋愛とかそういうの、別に興味ないんで…」みてぇなツラしておきながら、クリスマスが近づくと急に焦りだす。普段から焦っておけよ。

 

そういうのはまだ可愛らしいが、結局クリスマスを1人で過ごすことになり果ててしまった連中の自虐ネタは輪をかけて悲惨だと思う。

「俺クリぼっちだわw」だの、「性の6時間ずっとインターネットしてた…」だの、「クリスマス粉砕!」だの。

こういう自虐ネタが面白いかはともかく(僕は面白いとは思わないが、面白いと感じる人もいるだろう)、その自傷的な快楽を求める姿勢が僕は悲惨だと思う。

恋人たちがクリスマスを楽しむ隣でツイッターにしこしこと自虐ネタを投稿するくらいなら、いっそ1人でイルミネーションを鑑賞するなり、完全に無視を決め込んで普通の1日を送るなりすればいいのに。

 

その点、毎年25日の夜に現れる、半額になったケーキやチキンを買い漁る人々は偉大だ。僕は彼らを密かに「クリスマスのハイエナ」と呼んでいる。

ハイエナたちは第1義的なクリスマス(恋人や家族と過ごす)とは違うクリスマスを過ごす人々だが、腐ることもなく、他人や自分を呪うこともなく、自分なりの第2義的な楽しみ方を見い出している。安くなったチキンを買い漁り、嬉々としてその山をツイートする。そこには、人生を自分のものとして引き受け、できる限り楽しんでやろうとするクリエイティビティとも言うべき精神がある。

クリスマスのハイエナたちは、ハイエナはハイエナでも高潔なハイエナだ。確かに、ライオンになりたくてなれなかった人々もいるかもしれない。しかし、ライオンでないことを受け入れてそれなりに楽しくやっていこうとすることは、決して敗北主義ではない。たとえそれが「諦め」と名指されるとしても。

 

そのように考えれば、あの自虐の快楽に支配されている人々も、あるいは彼らなりに第2義的な楽しみを見い出そうとする高潔なハイエナなのかもしれない。

僕はやはり彼らの享楽を好きにはなれないが、ハイエナにも色々いるだろう。クリスマスという行事に望むものをしっかりと見据え、自分なりの獲物にかぶりつくなら、彼/女は確かに、高潔なハイエナだ。

 

全てのハイエナたちが彼/女たちなりの楽しいクリスマスを過ごしたことを、僕は心から言祝ぎたい。

 

 

そう言えばここまで、自分のことを一切書いていなかった。

今日は起きたら18時でした。完全に無為に過ごしてしまったし、寝過ごしちゃったので今は全く眠れない。明日の午前中バイトなのに。

 

助けてくれ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

よくないよ、こういうのは。

よくないな。こういうのは…(草加雅人)

 

昨日は更新できなかった。

前々回の更新は人と飲みながら書いたので、「まぁイケるやろ」と高を括ってクリスマス会(at 鯨の部屋)に臨んだのだけど、気づいたら飲みすぎていてそれどころではなくなってしまっていた。

 

昨日のことを思い出そうとしているが、朧げだ。

ケーキを食べ、ちょっといいワインと澪を開け、プレゼント交換を兼ねてボードゲームをして、ウイスキーのボトルを開けてワイングラスでハイボールを飲み、ワードウルフをやって…

ここまでは記憶にあるし、理性を保っていた気がする。(なんだかんだ結構覚えてるな)「あ~、ブログ何か書かなきゃな〜」とか、「明日(今日)2限あるから控えめにしなきゃな〜」とか思っていたはずなんだけど、ハイボール飲んだあたりで全部がどうでもよくなってしまっていた。

 

気づけば、ちょっといいワイン(750mlくらい?)と、澪(同じく750mlくらい?)が空になっていて、ウイスキー(750ml)が3分の1になっていた。5人とは言え、結構飲んでる。

あと料理用に買ったやっすいワイン(500ml)が何故か空になってた。すごい勢いで飲んでいたらしい。そう言われると、飲んだような気がしなくもない。

 

4時とかになって、流石にお開きにしてみんな帰った。(後始末はみんながしてくれて、俺はずっとフラフラしてたような気がする。ごめんね…)

ワードウルフやってたあたりとみんなが帰ったあたりのの間の記憶がストンと空白になっている。怖すぎ。

 

玄関で見送った直後、急に気持ち悪くなって、すぐに流しに向かって嘔吐してしまった。うちは玄関に入るとすぐにキッチンがある造りなので、玄関から180°振り返るとシンクになっている。

見送り、ターン、マーライオン

 

ここからの記憶もない。気づけば敷いた憶えもない布団の上で眠っていた。

昨晩と同じ服だったのでシャワーも浴びずに寝たのかと思ったけど、ズボンが表裏になっていたことからすると1回脱いでから着たんだと思う。枕元に濡れたタオルが落ちていたし、シャワーは浴びたっぽい?何もわからない…

 

とにかく気持ち悪くて、内臓が重たくて、まったく動けず、2限と3限に出られなかった。(4限は発表があったので他のメンバーに迷惑をかけないように意地で出席した)

 

よくないよこういうのは。本当によくない。

学業に支障をきたしているのは学生としてはあるまじき失態(まぁ「大学生」らしいと言えばそうなんだけど。)だし、人前での記憶が飛んでいるのが怖すぎる。

何かしでかしてたとしたらちゃんと謝らなきゃいけないので、記憶の空白は埋めなきゃいけないのだけど、「俺なんか変なこと言ってなかった?」って恐ろしくて聞けない。

多分大丈夫だと思うけど、ズボンを1回脱いだタイミングも定かではないんだよな。見送ったあとだったよね?大丈夫だよね?

 

 

本当に反省している。海よりも深く反省している。

こういう、お酒の失敗をベラベラ喋るのもよくないんだろうとは思うんだけど、記録するためにも書いた。

もうこんなことは無いようにしよう。いや、楽しかったは楽しかったんだけど、こんなことは1回限りでたくさんだ。

 

毎日更新記録は3日で途絶えましたが、まぁ今後は休まないように上げていきます。よろしくお願いします。

自分をひきこもりだと思いこむライフハック

13時に起きた。昨日夜中2時くらいまで酒を飲んで麻雀をしていたから、頭も痛かったし、内臓の疲弊も感じた。

13:15からzoomで授業があったから、大急ぎでシャワーを浴びてからパソコンを点け、そのまま90分間まったく集中せずにボケ~っと座って、また眠った。

昨日の授業のコメントペーパーが今日までだったので、日付が変わる前にむくむくと起き出して、それだけはとりあえず終わらせて、さぁまた寝ようかなと思ったときにブログを書かなきゃと思い出した。ので、書いている。

 

今日1日、ほとんどなーんもしていない。

洗濯しなきゃな〜とか、掃除しなきゃな〜とか、金曜の授業で発表あるから準備しなきゃな〜(!)とか思っていたけど、なーんもしてない。ヤバい。

そういう義務的なあれこれだけでなく、本を読んだりアニメ見たり、映画を見たりとかしたかったんだけど、それも何もしてない。惰眠をむさぼっていた。惰眠ムシャムシャくん。

 

 

ただまぁ、実は僕はそんなに「やっちまった」とは思っていない。それが良いことなのかどうかはともかく、別に焦ってもいない。「寝てたな〜」程度。寝てましたが、何か?

 

こんなに僕が自責的にならずに済んでいるのは、僕が僕自身をひきこもりだと思っているからだ。中3で3ヶ月ほどひきこもって以来、僕は自分自身をひきこもりだと認識している。ひきこもりが1日中眠っているのは、犬が四つ足で歩くのと同じくらい当然だ。だからモーマンタイ。

 

実際のことを言えば、僕はひきこもりではない。大学も行っているし、バイトも不定期のものだが出ている。友達もありがたいことに、少ないながらもいる。恋人はいないが、まぁ、そんなのはどっちでもいい。僕はそれなりにやれている。

 

それでも僕はひきこもりなのだ。だれがなんと言おうと、僕は僕自身をひきこもりだと思っている。そうすることで、心の平衡を保っている。

ひきこもりなのに、大学に行っている。ひきこもりなのに、バイトも不定期ながらも出ている。ひきこもりなのに、友達もいる。恋人はいないが、まぁ、それは望み過ぎだろう。ひきこもりだし。

 

…偉くない?

ひきこもりなのに、これだけちゃんとできてる俺、偉すぎる…。

 

今日1日はまるまる眠っていた。全然オッケー!ひきこもりだし。

一昨日は1限に出れなかった。全然大丈夫!ひきこもりだし。

この間入ったサークル、会合に参加できないまんまタイミング逃しちゃって、なーんか輪に入りづらいから、籍だけ置いてる形になっちゃった。全然問題ない!ひきこもりなのに頑張ってるよ、俺!

明日は朝からバイトなのに眠らずにこうやってブログを書いてる。遅刻しちゃうかも。全然いいよ!ひきこもりだもん!

 

 

 

…流石にマズいな。

「自分をダメ人間だと思いこむことで逆に自己肯定感が上がるライフハック!いかがでしたか?」などとオチに持っていこうと思っていたが、書き出してみると結構マズいな、こいつ。

「明日のバイト遅刻しちゃっても大丈夫!ひきこもりだもん!」じゃあないんだよ。普通にクソ迷惑だろうが。

 

心を入れ替えないとな…。

ひきこもって5年半経つし(5年半?マジ?)、もうそろそろ、もうそろそろ自分をひきこもりだと思いこむのは、やめよう。

僕はもう、健康な肉体と健康な精神を備えている。健康なりに、それなりにやるべきことをやらなきゃいけない。

 

脱ひきこもり宣言をしよう。

やるべきことをやるより先に、寝てはいけない。

できる範囲で、構わないから。

雪国北陸の大学生の心配風イキリ

北陸の大学に通っているが、この時期になるとこんな発言を耳にする。

「いやー、寒いな〜。今年は降らないといいんだけど…っていうか〇〇くんどこ出身やったっけ?あっ、愛知?そっか愛知か〜。太平洋側から来るとびっくりするでしょ?寒くて。しかもこっちは雪降るしね〜。雪ってなんかロマンチックなイメージあるでしょ?ナメちゃだめだよ。本当に洒落にならないからね?特に北陸の雪は。重いし。東京の人なんかは3センチとか積もっただけで大混乱してるけど、そんなもんじゃないからね?去年なんて…」

 

…もうやめよう。

ここまで書けばまぁ、おわかりいただけるだろうが、これは全て心配に見せかけた雪国イキリだ。

もう一度言う。雪国イキリだ。話し手は聞き手の心配などビタイチしていない。断言してもいい。

 

発言者の秘められた意図を書き加えるとこうなるだろう。

 

「いやー、寒いな〜。今年は降らないといいんだけど…(毎年雪の具合を気にしてるアピール)っていうか〇〇くんどこ出身やったっけ?(もし太平洋側出身だったらイキろうと期待して聞いている)あっ、愛知?歓喜そっか愛知か〜。太平洋側から来るとびっくりするでしょ?寒くて。(まぁ俺たちはこのくらいの寒さ毎年だけどな)しかもこっちは雪降るしね〜。(雪国アピール)雪ってなんかロマンチックなイメージあるでしょ?(決めつけ)ナメちゃだめだよ。本当に洒落にならないからね?特に北陸の雪は。(それに毎年耐える俺たち)重いし。(東北とか北海道とかの方が積雪量は多いけどあいつらよりツラいんだぜ俺たちは)東京の人なんかは3センチとか積もっただけで大混乱してるけど、そんなもんじゃないからね?去年なんて…」

 

ただまぁ、気持ちはわかる。僕も北陸の出身だから。

雪はつらい。雪かきも結構しんどい。死人も出る。

それなのに太平洋側の連中はちょっとした雪で騒ぐ。全国ニュースにもなぜか取り上げられていたりする。

やってられらない。

そこにきて太平洋側の人間が北陸で冬を迎えようとしている。そりゃまぁ、雪国イキリくらいはしたくなる。

 

でもさ、やめようよ。

そういう自意識みたいなのバレてるのよ。

 

気持ちはわかるけどさ、心配しているふりしてイキりみたいなの言うのは性格悪いよ。やめよう。

 

 

この話を友人にしたら「性格悪いのはお前だよ」と言われました。

そうかなぁ…?

積読に関する告解

※本好きの方、出版に関わっている方、真面目に勉学に励んでいる方は不快になるかもしれません。叱られるだろうな、と思いながら書いています。自分のダメさ加減は自分でよくわかっているので他人に指摘されたところで動じませんが、不愉快にさせるのは忍びないので注意書きしておきます。

 

 

少し前になる。アパートに帰ると本が3冊、どこかの古本屋送られてきていた。(Amazonで買ったので、出品者がどんな業者なのか、僕はよく知らない。)

 

1冊は大学の授業で使う教科書なのでここでは置いておく。

残りの2冊、森岡正博 著『感じない男』と市野川容孝 編『生命倫理学とは何か』はおそらく積ん読の山の肥やしになるだろう。おそらく、と言ったが僕はそれを確信している。僕はきっと、この2冊を読まない。少なくとも、全てのページに目を通すことはない。著者を始めとして、この本に関わった全ての人には申し訳ないのだけど。(本当に。申し訳ないと思っている。本はインテリアではない。ちゃんと読み通せる人の手元にこそあるべきだ。)

 

僕が不甲斐なくもそんなことを確信しているのは、そもそも僕がそんなに読書好きというわけでもない、むしろ読書という行為を苦痛に思っているからだ。あまり認めたくはないのだけど。

躁鬱の気があり、常に気が散っているか文字が滑って読めないかのどちらかで、腰を据えて本を読めるタイミングはほとんどないというのもある。だが、これは(事実ではあるものの)都合のいい理由を見出しただけに過ぎないことを、僕は自覚している。

本当のことに向き合うと、そもそも文章に向き合う知的体力が無いのだ。文系の学生としてはあまりにも致命的なのだけど。中学時代にあの忌まわしきTwitterを始めてしまい、ずるずるともう7年も続けてしまったから、僕の集中力は140文字程度が限界になってしまった。とても本を読み通すことはできない。認めざるを得ない。心の底から、不甲斐ない。

 

 

ところで、僕の部屋には本がそれなりにある。

友人を部屋に招くと驚かれるくらいには本がある。

いや、読書家からすれば大したことはないんだろう。それでも、それなりには冊数がある。大きめの本棚にギリギリ収まらないくらい。

岩波文庫(青)、岩波新書中公新書、やけに分厚いハードカバー。タイトルも、やれ『善悪の彼岸』やら『現代哲学の最前線』やら『現代フェミニスト思想入門』やら、厳めしく、“難しそう”な本が並んでいる。

しかしそのほとんどは全く読んでいないか、途中まで読んでやめてしまったものだ。理由は前述の通りで、読めない、いや、読みたくないから。

 

なのになぜ本を積んでしまうのか?どうせ読みもしない本を(財布に余裕があるわけでもないのに)買ってしまうのか?

それは、僕が学生でいたいからだろう。

 

ある日、Amazonのページをなんとなく見る。良さそうな本が並んでいる。僕は学生だ。本を読まなければならない。図書館の本は気を遣って読めないから(もっとも、これも躁鬱と同じく「都合のいい理由」だろう)、定価よりもかなり安く買える古本は何よりもありがたい。 

レコメンドされたこの本は勉強になりそうだ。僕の関心にぴったりに見える。AmazonのAI技術は素晴らしい。これは買わなければならない、そう思わせる商品を的確に勧めてくる。

 

さてここで、僕は確信している。どうせ読まない。

読みたくないんだから、読むはずがない。しかし、本を読みたくない自分は嫌だ。僕は学生だし、この本は僕の関心に合っている。読みたくあるべきだ。僕は学生だ。読みたくなければならない。

値段を見る。半ば祈るように。高ければ、「無い袖は振れない」と諦められる。諦めても許される。しかし安ければそうはいかない。ありがたいことに、古本であれば定価よりもかなり安く、送料を含めて数百円で買うことができる。

言い訳はできない。僕は学生であり、この本は関心に沿っており、手が届かないわけでも全くない。もしもこの本を買わないのであれば、僕は僕自身を学生だと規定できなくなる。

 

「どうせ読まないだろう」、そう確信しながら、僕は購入を完了している。銀行から引き落としが出来た旨を伝えるメールが来る。数日経つと、ポストに本が入っている。

部屋に入り、雨よけのビニールを開けると、商品ページで見たとおりの表紙が顔をのぞかせる。古本なので状態が良かったり、結構悪かったりする。どうでもいい。どうせ読まないんだから。

目次をパラパラと流し見ても、やはり「これも読まないんだろうな」と確信し続けたままだ。(その章立てがどんなに興味を引いたとしても)

しばらくは机の上に置いておく。まるで「今読もうと思ってるんですよ」と言い訳するように。(いったい誰に言い訳をしたいんだろうか?)

だが、1週間も経てば掃除のついでに本棚に収める。その後僕は、二度とこの本を開くことはない。

 

こんなことはしたくない。出来れば、今積んでいる本を全て読みたい。いや、読まなければならない。そもそも、読まないと確信している本を買うような愚かな真似はしたくないんだ。

それでも僕は、僕を学生だと思い込みたい限り、どこかの古本屋から本を買っては自室の棚に眠らせる作業をやめることができないだろう。それは義務となりつつあり、もはや僕は納税のように捉えるようになってきている。

 

こんなこと本当はしたくないんだ。誰か助けてくれ。

本当に、お願いだから。

 

 

追記:

読書を習慣づけるいい方法があったら教えてください。割と真剣に悩んでいます。あとTwitterを辞める方法も教えてください。これはガチのマジで本当に切実に悩んでいます。