ハイエナたちのクリスマス
さて、今日はクリスマスだったわけだが。みなさんはどうお過ごしだっただろうか?
毎年この時期が近くなるとみんな浮き足立って気味が悪い。普段は「いや、恋愛とかそういうの、別に興味ないんで…」みてぇなツラしておきながら、クリスマスが近づくと急に焦りだす。普段から焦っておけよ。
そういうのはまだ可愛らしいが、結局クリスマスを1人で過ごすことになり果ててしまった連中の自虐ネタは輪をかけて悲惨だと思う。
「俺クリぼっちだわw」だの、「性の6時間ずっとインターネットしてた…」だの、「クリスマス粉砕!」だの。
こういう自虐ネタが面白いかはともかく(僕は面白いとは思わないが、面白いと感じる人もいるだろう)、その自傷的な快楽を求める姿勢が僕は悲惨だと思う。
恋人たちがクリスマスを楽しむ隣でツイッターにしこしこと自虐ネタを投稿するくらいなら、いっそ1人でイルミネーションを鑑賞するなり、完全に無視を決め込んで普通の1日を送るなりすればいいのに。
その点、毎年25日の夜に現れる、半額になったケーキやチキンを買い漁る人々は偉大だ。僕は彼らを密かに「クリスマスのハイエナ」と呼んでいる。
ハイエナたちは第1義的なクリスマス(恋人や家族と過ごす)とは違うクリスマスを過ごす人々だが、腐ることもなく、他人や自分を呪うこともなく、自分なりの第2義的な楽しみ方を見い出している。安くなったチキンを買い漁り、嬉々としてその山をツイートする。そこには、人生を自分のものとして引き受け、できる限り楽しんでやろうとするクリエイティビティとも言うべき精神がある。
クリスマスのハイエナたちは、ハイエナはハイエナでも高潔なハイエナだ。確かに、ライオンになりたくてなれなかった人々もいるかもしれない。しかし、ライオンでないことを受け入れてそれなりに楽しくやっていこうとすることは、決して敗北主義ではない。たとえそれが「諦め」と名指されるとしても。
そのように考えれば、あの自虐の快楽に支配されている人々も、あるいは彼らなりに第2義的な楽しみを見い出そうとする高潔なハイエナなのかもしれない。
僕はやはり彼らの享楽を好きにはなれないが、ハイエナにも色々いるだろう。クリスマスという行事に望むものをしっかりと見据え、自分なりの獲物にかぶりつくなら、彼/女は確かに、高潔なハイエナだ。
全てのハイエナたちが彼/女たちなりの楽しいクリスマスを過ごしたことを、僕は心から言祝ぎたい。
そう言えばここまで、自分のことを一切書いていなかった。
今日は起きたら18時でした。完全に無為に過ごしてしまったし、寝過ごしちゃったので今は全く眠れない。明日の午前中バイトなのに。