くじらすいそう

鯨と申します。特撮や映画など、諸々について書いていきたいです。 Twitter:@Cuzilla0723

血で血を洗い、血を分け与え

献血に行ってきた。7回目になる。

極めて資本主義的で、修羅のように忙しいバイトが終わり、予定がない宙ぶらりんの状態で駅前に放り出されてしまったので、なんとなく歩いていたら献血ルームまで辿り着いたので、なんとなく成分献血を申し込んだ。

 

献血ルームは面白い。看護師さんはびっくりするくらい丁寧な対応をしてくれる一方、問診担当のお医者さんは大体ダルそうにしていて、ギャップで笑ってしまう。

今日は30代くらいの女性の先生が問診をされていたのだけど、本当にダルそうでウケちゃった。他方、看護師さんは普段子どもを相手にしているのか、丁寧なんだけど妙に馴れ馴れしいというか、甘やかすような口調で話してくる。色んな人がいる。面白い。

 

色んな人がいると言えば、生きるために誰かの血が必要な人がいて、その一方で誰かに血を分け与えたい人がいるというのも、少し不思議な気がする。

血が足りない人と有り余る人。その間では、技術やシステム、それと善意に類するのものに媒介されて、それなりの均衡が図られている。

健康な人にとって200ないし400ml(今回は成分献血だったが)の血液には大した価値がない。無くなっても別に問題はない。だが、輸血を必要とする患者にとっては文字通り死活問題となる。その理不尽とも言いたくなるようなアンバランスを多少なりとも修正する営みとして、献血というものはある。

あるいは多くの善行は理不尽なアンバランスの修正という枠組みで捉えられるかもしれない。思いつきだけど。

 

色んな人がワチャワチャしながらも、どうにかこうにか上手いことそれなりのバランスを保とうとする世界や、上手いことやっていこうとする人間という生き物は案外悪いものではないのかもしれない。

ちょっと痛い思いをして暫く採血管に繋がれているだけでなんとなくそんな気持ちになれる、それが僕が献血に好んで行く理由なのかもしれない。