くじらすいそう

鯨と申します。特撮や映画など、諸々について書いていきたいです。 Twitter:@Cuzilla0723

お久しぶりです

いやぁ、完全にはてなブログの存在を忘れていた。

先日「まともな長文は映研の部誌くらいしか書いてない」とか抜かしてた(以下のツイート参照)けど、あれ嘘です。書いてたわ、くじらすいそう。毎日更新目指してたわ。全く記憶になかった。

https://twitter.com/Cuzilla0723/status/1608087457593176067?s=20&t=NP6BWEnfBqsYvpqfs8lOtQ

 

なんとなくchromeのブックマークを見てたらはてぶのダッシュボードを見つけて、なんとなく開いたら「くじらすいそう」が表示されて全部思い出した。あれっ……私、なんでこんな大切なこと忘れちゃってたんだろ……。

 

今は諸々のタスクに埋没していて、正直ブログどころではないんだけど、せっかく思い出したんだし、今後はぼちぼち更新していこうかな。

 

ということで更新再開するかもなので、今後ともよろしくお願いします。

毎日更新とはいかないまでも、週3くらいで日記みたいなのを書いていきたい。

更新を再開します。

更新が滞りました。申し訳ない。成人式というビッグイベントについて書けなかった(その日は酔って寝ちゃった)のが結構惜しくて、なんかどうでも良くなってました。

僕としてはこんな誰も喜ばない自分語り途絶えたって別にいいだろうと思っていたのですが、ありがたいことに各所から「また書いてよ」というお声をいただき、恥ずかしながら戻ってきました。

 

毎日更新記録をつけていた分、それが滞るとどうでもよくなってしまうのも、空白期間が長引いた一因だと思います。

毎日更新自体が目的ではなく、文章の練習とTwitter依存脱却のためにブログを書いていることを思い出したので、今後は更新できなくてもメゲずに書いていこうと思います。

 

お声がけいただいたみなさん、読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。

今後も当ブログくじらすいそうは更新していきます。よろしくお願いします。

 

では次の更新で。

 

 

(追記:ブックマークとかツイートへのいいねとかもしてくれると嬉しいです。励みになります。)

帰省(22/01/08)

今日は天気が良かった。厳しい寒さから一転、気温もそれなりに高く、過ごしやすかった。小春日和という言葉は今日のためにあるんだろう。

 

明日の成人式のために、福井の実家に帰る。

 

特急券をケチって鈍行に乗ったのは正解だった。

車窓から見える冬晴れの景色は気持ちがいい。田畑にまばらに残っている雪は晴れた日に輝いて、こういう日ばかりはあの忌々しい雪も悪くない。

それに、電車の中では読書が捗る。家と違って姿勢が座ったまま固定されるし、他にやることがあまりないから集中できる。流れる景色を視界の端に入れつつ本を読むのは、結構贅沢な時間だと思う。

 

駅からはバスで帰ることになった。

駅そばを食べ、バスが来るまで近くのフリースペースでちょっとした作業をしていた。この場所も懐かしい。受験生だった頃、予備校での自習に飽きたら場所をここに移して勉強していた。もう2年も前になる。

バスに乗り、また本を開いて、しばらくすると着いた。バス停から実家までは2kmほどあるが、まぁ、このくらいは歩ける。道には雪はほとんどなかった。スノーシューズで帰ったのは失敗だったかもしれない。歩きづらい。

 

晴れた暖かい日に散歩するのは気分がいい。この場合、目的地があるから正確には散歩ではないんだけど、まぁやってることは一緒だ。陽や風が心地いい。

地元は盆地で、山に囲まれている。ひときわ大きな山は越前富士なんて大層な呼び名があったりする。小さい頃はこんな山なんかなんてことはないと思っていたが、大学に行くとその土地での山の不在が妙に気になった。いや、山はあるんだけど、高さが同じくらいの山々が連なっているから、あまり人格的なものを感じない。地元では、山に見られている感覚があった。超自然的な、神格みたいなものを感じていた。

 

正月の帰省ではずっと天気が悪く、山は雲だか霧だかに閉ざされていた。今回は晴れてくれたから、よく見える。聳え立つその姿を見て、ようやく「帰ってきたな…」と実感することができた。

 

ただいま。

 

明日も晴れるらしい。僕はこの山の視線を感じながら、成人式を迎える。

『偶然と想像』を見てきた。

濱口竜介監督作『偶然と想像』を見てきた。

 

『偶然と想像』は3つの短編がオムニバスになっている作品なんだけど、全体的に不穏さと面白さが共存してる独特の雰囲気だった。

 

1つ目の短編『魔法(よりもっと不確か)』は特に不穏で、刃物が出てきそうな緊張感があった。激しい対立があるわけじゃなくて、それぞれのカオスが水面下で蠢いている感じ。でも憎み合ってると言うと違っていて、何というか、彼らの関係性も、互いへの感情も、言葉という形を与えられないけど、しかし決して理解できないものではない。そんな感じがした。

2つ目、『扉は開けたままで』は、揺らぎながら安定していくような、瀬川のどこか超越的な雰囲気が奈緒を繋ぎ止める重石になり、奈緒の揺らぎが瀬川に伝播するような、かかわりあいの相互作用が面白かった。あと、なんか見たことある人が出てるな〜と思ったら甲斐翔真さんだった。オタクなのでニチアサに出てた俳優さんを見かけると「おっ」ってなる。

3つ目、『もう一度』は、コントっぽい感じの組み立てで、ハイセンスなギャグシーンも何度かあり、客席から笑い声が聞こえたりもした。互いに他人なんだけど、他人と言い切れるわけでもない、しかし代償というわけでもない、そういう決定しきれない関係性が呼び水になって眠っていた回路を目覚めさせ、その回路の目覚めが関係性を変化させる独特の他者性みたいなものが面白かった。

 

3作とも、自分の中の言語化しきれない絶妙な部分をスクリーンの中に描き出されたような感覚になった。3作とも敢えて感情を抑えて演技する演出が取られていた。その感情の空白に自分の中の掴みどころのない部分が投影されたのかもしれない。『もう一度』の2人が奇妙な自己開示をしていたように、僕はスクリーンを他者として自分を映し出していたような気がする。

3作に通底して、明白でない模糊としたものを描いていたが、不安にさせるわけではなく、むしろ観客として一歩引いた視点から見ることでその分からなさを面白がれる仕掛けになっていたように思う。

 

不確定を不確定のままに受け取らせてくれる、不穏だけど心地いい作品だった。

ストレスフルガール源静香

最近は酷く寒い。

ちょうど1か月前に引っ越してきたこの部屋は、馬鹿でかい窓が2つもある。寒い。

 

ここ数日のブログを読んでくださった人ならお分かりだろうが、最近どうにも調子が出ない。あらゆることにやる気が起きない。なのに、時間は飽きもせず進んでいき、タスクはしっかり積み上がり、部屋はどんどん汚れ、生活は破綻する。焦る。脳の義務感を司る部分がカラカラと回るが、どの歯車とも噛み合っていない。焦る。疲れる。寒い。

そう言えば冷蔵庫が空だった。食料品を買いに行かなければならない。が、寒い。またタスクが増えてしまった。腹は減る。焦る。寒い。疲れる。腹は減っている。

 

とにかく、コーピング(回復行動)をしなければならない。

酒や煙草は控えている。食糧を買ってきて調理する体力はない。1人で外食に行くのは月末に金欠になる自分を思って気が乗らない。そもそも寒いから出たくないし。散歩なんてもっての外だ。

 

そうなると、僕に残された選択肢は1つ、入浴だ。と言っても、バスタブが小さすぎるので、シャワーを浴びることになる。

ガス給湯器の設定温度を50℃にする。熱すぎるくらい熱いお湯を浴びる。この時間だけは、それなりに心が楽になる。耳を打つ水の音が、義務感モーターの回転音を覆い隠す。部屋と同じくらい淀んでいるはずの身体が清潔になっていく。

 

コーピングとしての入浴はちゃんとした入浴とは別枠だ。シャンプーやボディソープは使わない。ただ、滝行のように頭からお湯を浴び、ボーっとする。ある種の瞑想なのかもしれない。時間を忘れ、ただ、熱さと音だけの世界に放り込まれる。

 

こんな入浴を毎日、いや、日によっては2,3回している。しずかちゃんかよ。

仕方ないじゃないか。これしかコーピングの手段が無いんだから。

そう考えると、しずかちゃんの風呂好きだってストレスからの回避行動なのかもしれない。ストレスフルガール源静香。不可抗力の事故とはいえ、コーピングの現場にどこでもドアで現れる野比のび太とかいう男、許せねえな。

 

そんなことを考えながら入浴コマンドを連発し、どうにか稼ぎ出した精神力で今日は外出することができた。

 

 

帰ってくると、ポストに請求書が入っていた。

 

え~っと、ガス代が、7517円か…。7517円!?!?!?!?

 

 

 

 

…。

 

 

キャーッ!!金沢市企業局さんのエッチ~~~~~ッ!!!!!!!

無いよりはあったほうがいい鯨ちゃん日記(22/1/5)

昨日、地元から戻ってきた。今日、丸一日眠っていた。

zoomの授業があったのだけど、寝過ごしてしまった。部屋の掃除とか金曜の授業の予習とか、色々やらなきゃいけなかったんだけど、それもやっていない。

 

寒かったのもあるだろう。あの強靭な肉体を誇る熊でさえ冬眠する。ヒョロガリ(169cm, 54kg)の僕が冬季に活発に動けないのは仕方がないじゃないか。

帰省の疲れもあるはずだ。なんだかんだで100kmの移動というのは疲れる。それに、実家には実家の生活の空気感があり、そこからアパートの生活に身体を馴染ませ直さなければならない。疲れる。

酒を飲みすぎたのもある。この1週間ほどの帰省で、飲まなかった日はなかった。父親は息子と酒を飲みたがたっていたし、僕もまぁ、酒好きなので、断る理由はなかった。しかし流石に休肝日は設けるべきだったな。無茶をしすぎた。内臓が重たい。

 

ぐだぐだと理由を考えているが、まぁ、何が原因にしろ、このまま眠っているわけにはいかないことはハッキリしている。何かしらの活動をしなければ。生活が破綻しかけている。

何時間も眠っていたから、今日はもう寝れないだろう。

とりあえず、ゴミ出しだけでもやろうか。外は寒いが、外に出なければゴミは出せない。冬が明けるまでは、こうやって耐えていくしかないんだろうな。冬が明けるまで。

人格の回路は眠っているという仮説

久しぶりに高校の友達と会った。2年ぶりになる。

同じ部活(囲碁部)だった同期と1つ下の後輩。後輩に至っては久しぶりどころか、碁盤を挟まずに話すのは初めてだったかもしれない。

彼らとは2年も会わなかったが、そんなに仲が悪かったわけではない。碁を打ちながらほぼ休みなく口を動かし続ける程度には話が弾んでいた。ただ、僕らは別に部活以外での交流をしなかっただけだ。

とはいえ、あまりに久しぶりなので、どんな顔で会えばいいのやら、正直不安だった。それに、当時の僕らと言えば品性下劣なインターネットミームを並べたてることを「会話」と定義していた最悪のクソガキだったが、流石に今は違う。当時の会話をそのまますることはできない。

 

杞憂だった。会った瞬間に、当時の空気感を思い出した。

古く、忘れ去られた回路だが、一度電気が流れればそれは当時のまま、何も変わらず駆動した。

それから3時間ほど、ずっと喋っていたような気がするが、何を喋ったか覚えていない。他愛もないことだったんだろう。他愛もないことを話す間柄だったから、久しぶりに会っても他愛もない会話がただ止め処なく交わされただけだった。

 

こう考えると、人格というものの統一性は結構疑わしい。

僕は高校の囲碁部用の人格を大事に仕舞い込んでいて、彼らに会ったときにそれがまた動き出した。それは間違いなく僕だが、大学の僕とは少し違う。

人格は他者との相互関係の中でそれなりに適した形をとって現れるんだろう。

 

 

数日後、成人式がある。

小学校の同窓会に参加するとは言ったものの、結構不安だった。ただまぁ、なんとかなるだろう。小学校時代の回路もたぶんまだ生きている。

今回のように会ってすぐ復旧、というわけにはいかないだろうが、然るべき手順を踏むことさえできれば、当時の感覚が戻るんじゃないか。そんな気がする。たぶん。いや、希望的観測かもしれないけど。

 

とにかく久しぶりに会えて楽しかった。

それだけは、確実に言える。