孵ったのだから、もう変えられないだろう。
年末なので帰省した。と言ってもまぁ、隣県だし100km程度しか離れてないから大したことではないんだけど。鈍行で帰れる距離。(鈍行だと雪で止まるリスクが無視できないので特急を使ったが)
どうせ9日の成人式のためにもう一度帰るんだから、別に帰らなくてもいいかと思わなくもないが、従姉に子供が生まれたので、会うために帰ってきた。また6日には金沢に戻り、8日にまた帰ってくる。比較的近いとはいえ、結構無理をする日程だ。自分が選んだことだが、せわしないし足代も馬鹿にならない。
地元に帰ってもまぁ、特に変わったことはない。
ただ、父親の髪が随分寂しくなっていた。満遍なく薄くなり地肌が多く露出している頭は冬場の針葉樹林を思わせた。そう言えば数年前に亡くなった祖父もそういう禿げ方をしていた。僕もきっとそうなる。遺伝子はいつも不吉な予言だけを告げている。
地元は変わらない。僕も大して変わっていない。
男子三日会わざれば、というのは第二次性徴期のあの爆発的な身体変化までだ。ある一定の年齢を過ぎれば我々はどんどん成長が鈍化していき、やがて止まる。そしてしばらくすると、老化が始まる。針葉樹林になってしまった父親の頭髪のように。
駅から出て間を置かず、美容室に行った。いつも行くところが年末休みに入る前に、駆け込みで予約を入れた。大して伸びているわけでもないが、成人式もあるし、頭は整えておきたかった。
別に切らんでも…と思うくらいのちょうどいい長さのタイミングで行ってしまったからか、つい、短めにするようにオーダーしてしまった。無理に短くしたから、あまり似合わない。普段隠れている眉が出てしまったので、眉も整えてもらった。
良くなったのかその反対かで言えば後者だろうが、印象は結構変わったはずだ。まぁ、いずれ伸びていくれるだろう。たぶん。
地元は別に変わっていない。僕も大して変わっていない。
ただ、父親の頭髪は寂しくなり、僕の髪は過剰に短くなった。
変わるべきものはゆっくり変わっていき、変わらないものは意図的にかりそめの変化を与えられる。
僕のライフステージはそういうゆっくりとした段階に移ったんだろう。
停滞を覆い隠そうと髪型を変えて無理やり変化を与え、それを繰り返すうちに力を失った毛髪はいずれ不可逆な変化を迎える。
これからの僕はいくら足掻こうと少し違う僕にしかなれず、抜本的で爆発的な変化はもはや見込めない。さなぎはもう失われた。
人生がそういう時期になってしまったのは寂しいような虚しいような気がするが、それもそれで悪くないと思うしかない。
それを自ら受け入れる覚悟を持って生きることが、幼年期の終わりであり、成人するということなのだろう。僕はあくまで僕として、多くの不吉な予言とそして僕自身を背負って生きていこう。